それがいいことの序章です

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アフターデジタル2を読み始めた

アフターデジタル2の1章を読んだ。
Kindleは便利で、気になったところにさっとハイライトとメモを残せる。
ザクッとメモを振り返りながら思ったことをザクッとブログに残そうと思う。

ハイライトとメモと振り返り

リアルとデジタルの接点の主従関係を逆転させて考える必要があるというのが、「アフターデジタル」という

ほんのタイトルにもある"アフターデジタル"という言葉の意味が面白かった。
書いてもある通り、どうやってリアルの中にデジタルを、言い換えれば、どうやって人の生活の中でサービスを使ってもらうか、という考えになりがちだなあと感じた。
言葉遊びにならないように気をつけなければいけないと思うものの、インターネットの普及によって色んなものが繋げられた今は、リアルとデジタルを分けて考える必要はなくなっている、といのは自分の体感としてもあるし、意識していきたい。

個別接点のデータがいくら集まっても大した意味はなく、データがシーケンス型に整理されていることが大事

プロダクトの成長や分析のためにも、データを取ることは必要不可欠になっているが、そのデータを線として捉えるのは意外とできていないし、難しい。でもただただ取りがち。
ユーザーの行動の整理ができていないのかもしれない。どう行動させたいか、という定義すら決まってないとシーケンス的に取ることはかなわない。
こういったとこからも、エクスペリエンスと行動データ、つまりUXとエンジニアリングはつながるのかもなと感じた。
どういう体験をさせたいか、それが実現できているかを、体験ベースのシーケンスになるように行動データを取るべきで、それができていれば、UXの良し悪しは数字によって測定可能になりそう。

デジタルによる利便性という意味では、中国は日本より進んでいます。「利便性というマスの余白」は既に取りつくされてしまっており、多くの日本人が求めるような「バズりやすいキャッチーな事例」が出てこなくなってしまった

「利便性というマスの余白」という言い回し良い。そしてこれの取り合いがまだまだ日本だと多い印象がある。これについてはもちろん、余白が残っているということかもしれない。
だが、この取り合いに終止してしまうと伸びしろは余白分しかないとも言えるかもしれない。人の生活は点でもマスでもパズルでもなくて、時間軸のある線なので、余白を埋めるだけではそこに入るのは難しいかも。

目標設定とかなんとかでよく「whatじゃなくてwhy」と言われているが、サービスにおいても自然と「何を使うか」ではなく「なぜ使うか」という視点で選ばれていく時代になりそうな気がする。本の言葉を使うと「新たな生活スタイルの提案」をしていくことが重要と言えるかもしれない。便利な○○を使う、のではなく、こういう自分でありたい、あるいはこういう生活をしたいから○○を使う、というフェーズになったときに戦えるようだと強そう。

雑記

自分はUXに興味があって、だけど(だけどってのもおかしいけど)軸としてはエンジニアなので、どう向き合うかという部分についてふわふわしてたけど、少しだけ、解像度が上がった気がする。

エンジニアとしても、点を線にすることが大事。データにも言えるしユーザーの分析にも言える。点を提供するのではなく、点は線にし、線と線のコネクタも作らなければならない。 どうアプローチするのかしたいのか、まだまだ具体化できない。抽象的である。

あしたには別のことを言っているかもしれない。

言語化すると自分との対話みたいで思考が整理されるのでよいです。